保護者の皆様へ

保護者の声

ニュージーランドが娘の第二のふるさとです

私達が14年前に次女の尚子を高校から留学させる決心をしたのは、国際的に通用する英語力を娘に身につけさせたいと考えたからです。娘は小さい頃から算数や数学が得意でしたが、将来理数系に進むなら、なおさら英語力は必要だろうと思ったのです。また、自立した生活力を身に付けさせたいとの思いもありました。

そこで早速留学の調査や準備をしましたが、私達だけで行うには限界も感じたので、サポートしてくれる機関を探しました。数箇所の機関で説明を頂きましたが、治安や費用面などから希望していたニュージーランドにプログラムがあったこと、地味ではありましたが親身に取組んでいる姿勢に信頼感を感じたこと等から永野さんの会社にサポートをお願いしました。留学準備から、留学後の現地のサポートまでとても心強かったことを覚えています。

そして、いよいよ尚子は高校2年の12月に日本の高校を離れ、ニュージーランドの高校2年に編入しました。学校は、南島のクライストチャーチ市内の私立の共学校で幼稚園から高校までの学年2クラス、1クラス20名くらいの規模の落ち着いた学校でした。ESLのクラスもありましたが、その他の教科はさっぱり解らず、最前列で聴き、テープにとって帰宅後にまた聞きながら、ホストファミリーにサポートしてもらう毎日だったようです。このホストファミリーは、市内の共働きで小学生の男の子2人がいる一般のご家庭でしたが、社会人になった今でも、このホストファミリーとの交流が続いており、大変お世話になっております。

努力の甲斐あって、娘は2年目の高校3年には各教科の成績も上がり、大学入学に向けた統一試験も十分な結果が得られました。そして卒業にあたっては、学校から学年で数人だけに与えられる「優秀賞」をいただきました。

高校卒業後はカンタベリー大学の理学部(化学専攻)へ進学し、さらに同大学の工学部に編入学し卒業しました。5年間の大学生生活では、NZだけでなく日本やアジア各国からの留学生とも大いに交友が広がったようです。また、工学部の教育プログラムの一環で、2箇所ほど職場を探してインターンシップをしたことも、社会や職業人、NZを理解する上で役に立ったようです。

現在娘は、南島のセントラルオタゴでNIWAという会社でオゾン層の観測などの仕事について、社会人として自立した生活を送っています。自然のすばらしいニュージーランドが尚子にとって第二のふるさとになりました。

寄稿者:塩穴春江 様
留学生:塩穴尚子 さん
経歴 :
1994年~1995年 Middlton Grange School
1996年~2000年 University of Canterbury(カンタベリー大学)
現在、ニュージーランドでオゾン層の観測に従事。
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