子供の留学から学んだ事
永野宏行
その当時の息子は、学習意欲がまったくなく、成績は小中学校を通じてずっと低空飛行を続けている状態でしたから、英語を始め全ての教科の基礎学力はかなり低いものでした。更に、社交性の点でも友達づきあいがあまり得意でないようで、クラスにおいても孤立しがちな子供でした。ですから、この仕事に長く携わってきた経験から、中学・高校留学は大学留学と違って英語力がそれほどなくても、また成績が平均くらいでも本人に意欲さえあれば心配いらないということが分かっていた私でさえ、息子を海外の高校へ送り出すことに躊躇せざるを得なかったのです。
そこで、私はこの問題を保留にしてしばらく息子の様子を見ることにしました。もし、息子が一時の思いつきで留学をしたいと言ったのであれば、そのうち忘れてしまうだろうと考えたからでした。ところが、しばらく冷却期間を置いたにも関わらず、息子の高校留学に対する意欲は一向に衰える気配を見せるどころかますます強まるようでした。その間に、私は家内と何度もこの問題を話し合いました。そして、真面目ではあったが引っ込み思案だった息子が初めて本気で自分の希望を表明したことを軽く見てはいけないのかもしれない、もしここで、親の心配を優先して息子の希望を拒否した場合、せっかく芽生えかけた自発的な意欲の芽を摘んでしまうことになりはしないか、それは逆に息子の将来に大きな禍根を残すことになりはしないか、と私たちは考えるに至りました。こうした葛藤を経て、更に再度、学力不足や社会性の低い現状で高校留学をする厳しさとリスクを息子に話し、それに立ち向かう本人の覚悟の程を確認したうえで、最終的に息子をカナダへ送り出すことにしたのです。
このようにして、期待よりも心配の方が数倍も大きかった息子の高校留学が始まりました。息子は、私が予想していた通り、留学を開始した早々から、ホストファミリーや学校の先生方とコミュニケーションを取らなくてはならない場面で苦労し、自分の英語力不足を痛感させられたようでした。現地に行けば英語くらいすぐに分かるようになって、ネイティブの友人もすぐに作れると内心高をくくっていたところがあったようですが、現実はそんなに甘いものではないということを身をもって思い知ったようでした。更に、留学を開始して3週間ほどが過ぎ、ようやく現地の生活に慣れ始めた矢先、とても親切にしてくれていたホストファーザーが突然心臓発作で亡くなくなってしまうという予想もしないアクシデントが発生しました。また、インフルエンザによる高熱に苦しめられるという出来事に見舞われたりもしましたが、息子は弱音を吐くことなく、私からのアドバイスに耳を傾けて自分の出来ることを一つ一つ着実にやり遂げて行きました。そして、3か月を過ぎた頃に 日本に関心を持つカナダ人生徒と仲良くなり、週末ごとにその友人の自宅へ招待されて泊まったり、その友人を通じて他のカナダ人生徒たちとの交流の輪を広げ、さらにバンドを組んで近隣の中学校でミニコンサートを開くなど、日本では全くしなかった活動を積極的にするようになりました。そうして、少しずつ英語に関する自信がついて行ったようでした。
こうして、息子は予定通りの留学期間を終えて無事帰国をしたわけですが、私たちが驚かされたのは、それからでした。
まず、帰国早々息子の口から「これまで自分には勉強が足りなかった。だからこれからはもっと勉強をする」との言葉が発せられたのです。私たちは一瞬耳を疑いました。これまで幾度となく勉強の必要性を説き、また一緒に机に向かって指導をしてきた時には、言われたことを渋々やるだけで、決して自発的に学習しようとしなかった息子の言葉とは信じられなかったからです。ということで、私たちは半信半疑だったのですが、息子はこの言葉を実行したのです。大学受験はもちろんのこと、大学へ入学したのちも私たちから勉強をしなさいという言葉は一言も発していないにも関わらず、その日以来、息子は自発的に黙々と勉強を続けるようになったのです。息子が中学生だった時には「永野君がクラスでは一番心配です。いろいろ悩みはあるのでしょうが、ともかく目の前のことに一生懸命取り組むようにしてください」と厳しい注意を受けていたのに、大学へ進学してからは先生方から「永野君は学習意欲が旺盛で成績も全く問題ありません」と褒められるようになったのです。本当にキツネにつままれたようなもちろん親として大変嬉しい驚きです。「かわいい子には旅をさせよ」という諺がありますが、あの時留学させるという決断をして本当に良かったと私たちは今でも時々当時を振り返って話しています。
息子の高校留学を通じて私が学んだことは、小学生や中学生の時に身に付けた基礎学力や英語力は大切な要素ではあるが、絶対的なものではないということです。そんなことは頭では分かっているつもりでしたが、自分自身振り返ってみると、私は自分でも気がつかないうちに息子の学習意欲や学力等に関して、見限りかけていたのかもしれません。しかし、これは明らかに誤りだったのです。人間は本気になってこれまでの自分を変えようと思えば、いつでも誰にでも変えられるものなのです。息子は、高校留学を通じてそのことを証明しましたし、おかげで私は若者の持つ可能性の高さに気づくことが出来ました。私たちのこの体験がほんの少しでも皆様の参考になれば幸いと存じております。